特別編[北海道紀行]
今月のばらばらへ

 新婚旅行に行った、北海道についての感想です。自分たちで計画して行っ たので、有名な観光スポットなんかにはあまり行ってません。よって、今 後北海道を旅行される方の参考にはならないと思います。あしからず。

その0:結婚式裏話
その1:フェリーにて
その2:苫小牧−−帯広
その3:帯広−−層雲峡
その4:層雲峡−−阿寒湖
その5:阿寒湖−−釧路
その6:釧路−−札幌
その7:札幌−−東京


その0:結婚式裏話

 一言で言えば、緊張したし恥ずかしかったです。結婚式&披露宴はもう いいです(苦笑)。

 1日目の出発地が仙台になっているのは、私の実家と相方の実家の中間 の地をを結婚式の場所としたため。お互い、結婚式はそんなに大げさ にしたくないと考えていて、披露宴でなく、会食にしようと考えていた。 が、親の希望もあり、両家の親戚のみに披露するという形に変更。 形式としては一般的な結婚式(神前式)&披露宴をしてきた。
 本来なら、神前式とはどういう流れで、どういうことをするかと言うこ とを事前に学習してゆくべきでだろうが、私は直前までそういった事を一 切せず、東京から仙台へ向かう新幹線の中で読んでいたのはパソコン雑誌 というありさまだった。
 それでも、前日式場で披露宴の司会の方を交えて、宴の進行状態などを 確認し、準備はOKだと思っていまた。
 当日式場に入り、私はしばらく放っておかれ(相方の着付け1.5時間 で、私の着付け10分程度)、ほぼ同じ時刻に仕上げてそのまま写真撮影 をし、両家の顔合わせをしてから神前式に向かう。
 直前に「誓いの言葉」なる紙を渡され、神主が指示をするから、これを 読み上げろと言われる。私は1分以上その言葉を一人で読み上げ、最後に 「夫 Sono314←本当は本名」と宣誓し、相方が「妻 ○○←名のみ」 という。あまりにも長さが違いすぎるし、それよりも、こんな事をするの かと驚いた。勉強してくれば良かったと後悔した。
 話は多少前後するが、「誓いの言葉」を渡されたのは神殿への入り口で、 扉の向こうには二人の巫女がいた。彼女たちの先導で、我々は神殿へと入っ てゆく。

 神主が、なんだかわからない(この時点で勉強不足なのがよくわかる) 祝詞を唱えてくれて、近いの杯を交わすことになった。いわゆる「三三九 度」と言うヤツである。神主が、大中小のネズミ・・・・ではなく杯を重 ねて持ってきて、私と相方の中間に置く。そして、一番小さいのを取り上 げ、私の方を向くと、両手を使ってその杯を私に渡そうとする。
[ん? これは両手で受け取る物なんだよな]
もう、どうして良いのかわからなくなってきている。しかし、せっかく渡 そうとしているのだし、ここは同じく両手で受け取っておくことにする。
 すると、私の側にいた巫女が、じょうろ見たいな容器を水平に持ち、お ずおずと進んできて、その小さな杯にちょびっとお酒をついだ。
[ん、これはどうするんだ?? ついだんだから呑んで良いんだろうが、 呑むタイミングがわからない。それにこれは一気に飲むもんなのか??]  もう、頭の中はパニック寸前である。どうするのかと神主の方を見て、 呑むフリをする。[呑んで良いのか]と聞いてみる。
 神主の答えは、[呑め]であったと思う。とにかく私は、その杯の中身 を今呑むのだと言うことはわかった。しかし、後は飲み方である。こんな 量、一気にググッといけるのだが、それでははしたないかな? などと考 えながら杯に唇を付けた瞬間にひらめいた!
 「さん・さん・くど」という位だから、三回に分けて呑めばいいのかな?
 私はかけに出ることにした。三回に分けて呑んでやれ、というかけであ る。
 そうした私に対して神主は怒りもせず、相方にその小さなうつわで呑ま せ、続いて中くらいの杯を相方に持たせ、酒をついだ
 そして、彼女が呑みきると、その杯は私の元にやってきた。そうか、こ ういうことなのか、と言うことは三度目は私の方からくるな、と思ってい たら、案の定。もう3度目なので、比較的スムーズに杯の交換は続く。
 そうか、「三三九度」というものはこういうことなのか、と言うことを 勉強した←もう遅いかもって(笑)

 その後も、手を全部化粧した相方の手に指に指輪をはめようとするのだ が、なかなか入らない。緊張してるのかと思ったら、そうでは無くおしろ いを手中に流しているかのようである。それで太くなっていて入らないの だ。
 それでも滞り無く式は終わり、巫女に先導してもらって神殿を後にした。
 しかし、披露宴の会場に着いたときに、入場するのにドアを開けてくれ たのは、すっかりウエィトレス姿に変身した先ほどの巫女であったのだ。

 なんか、書くことはあろうけれど省略し、曲がりなりにも私達は結婚式披露宴という難関を突破したのであ った。
 私達は、これからフェリーに乗って、苫小牧に向かう。式場でお互 いの両親とも別れ、我々はフェリー乗り場を目指した。

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その1:フェリーにて

 ともかく、結婚式は終わった。
 式場から逃げ出すようにして出てきた我々は、一目散に仙台フェリータ ーミナルに向かった。「仙台」とは言っても、行政区分的には多賀城市に あるらしい。まぁ、一介の旅人には関係のない話ではある。
 ところが、すぐにはフェリ−には乗船できないらしい。チェックイン? 開始まであと30分はあるそうだ。ターミナルの2階にある待合室にて待 つ。
 やっと、チェックインの時間がやってきたので、もう一度1階のカウン ターへ向かう。必要事項を記入して、乗船手続きをする。我々に割り振ら れた部屋は、「101」であった。鍵などは、乗船後案内カウンターで渡 すと言う。そして、手続きをしてくれた係員からでた言葉は、
「あと30分ほどで、乗船開始のアナウンスがありますので、それまで上 の待合室でお待ち下さい」
・・・・・まだ待つのか(苦笑)

 2階の待合室へ逆戻りし、間が持たないので缶ビールをのむ。つまみは もちろん笹かまぼこ。結局2缶あけてしまった。
 そうこうしているうちに、乗船可能を告げるアナウンスが流れる。それ を合図に、待合室にいた何人かがのろのろと動き出す。我々も、荷物を持っ て動き出す。海の上に渡されている連絡橋を渡り、フェリーに乗船し、鍵 を受け取る。これで、「101」号室は我々が約15時間使うことになっ た。

 実は「101」号室は、このフェリーの中でも一番の高い「スイート」 である。しかも、乗船手続きが(スイートの中で)一番早かったので、角 部屋である。進行方向前面と、太平洋側に窓のある部屋で、しかも我が家 (2DK)くらいの広さがある。 ()ううむ、ひろい・・・・。 実は、夕食の後船内を一巡りしてみたのだが、一番リーズナブルな「2等」 は、学生時代の宿泊学習の時泊まったような?2段ベッドか大広間であっ た。もっとも、我々二人の運賃で、4〜5人2等で移動できるだけは払っ ているのだが、それでも差があるような気がする。
 昼間にほとんど食べることが出来なかった我々は、船が出航する前に、 すでに営業を開始しているレストランに向かった。レストランは、バイキ ングスタイルで、ごく普通の感じ・味であった。ただ、アイスクリームは 美味しかった。

 22時前、その日の最後の船内放送があった。ごく普通の注意事項があっ た後に、日の出の時間を告げた。そのときは、特に「日の出を見る」事に 重大な関心があるわけではなかったが、ふと目が覚めると、ちょうど日の 出の時間だった。
 私は相方を起こし、二人でしばし日の出を眺めた。

 そんな事をしているうちに、朝食の時間になった。レストランに向かい、 和食・洋食取り混ぜたバイキングの中から適当にチョイスして食べる。私 は食べる速度が速いので、すぐに皿をからにしてしまう。相方の皿は半分 も空いていないし、もう少し食べられそうなのでもう一度物色をしにゆく。 こうやっているからバイキングは食べ過ぎるんだよなぁ、とは思う反面、 元を取らねばという意識も働くので、相方と交互に何度か物色をしにゆく。 結局、朝から腹一杯食べてしまう。(苦笑)
 甲板に出て、風を浴びてみる。空は青く抜け、風は冷たいけれど、気持 ちは良い。しばらく海を眺めてから、部屋に戻った。

 部屋でくつろいでいると、ブリッジを公開するというアナウンスが流れ る。興味があるので行ってみることにする。  行ってみると、ブリッジは我が部屋の上のフロアであった。計器類には 目を引かれるが、景色はたいして変わりがない。
「今日は本当に海は穏やかですね。あっ、あの波が白くなった所には、イ ルカがいますよ」
 などという説明を老夫婦にしているのが聞こえる。
 それでも30分程度、入港準備の為に公開終了と言われるまでブリッジ にいた。もうそのころは、苫小牧の街が見え始めていた。

 我々も部屋に戻り、下船の準備をする。
 港に入ってから、船を半回転させて、着岸。船とターミナルを結ぶ橋を 歩いていると、一部低いところがあり、頭を思い切りぶつける。ちょうど 船内清掃のスタッフとすれ違っているときであり、思い切り笑われる。こ ちらは痛いのと恥ずかしいのでそそくさとその場を立ち去る。
 ともかく、北海道に上陸を果たした。さて、これからドライブ旅行だ!

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その2:苫小牧−−帯広

 苫小牧のフェリーターミナルに着いた。「レンタカー」の案内に従って 進むと、小さなカウンターに「各社レンタカー受付」とある。そこで予約 してる旨を告げ、1台の車を借りる。赤いインテグラであった。
 苫小牧市内を、電器屋を探して走る。実は、この車にはカセットデッキ は付いていても、CDプレーヤーは付いていない。ポータブルのプレーヤ ーとCD自体は持ってきているので、それを聞くためには、カセットテー プ型のアダプタが必要だったからだ。10分ほど市内をうろうろし、電器 屋を発見、無事にアダプタを購入。
 地図を確認しながら、日高方面に向かう。途中、未完成な高速道路を無 料開放している区間があり、そこを走行する。基本的には片側1車線の道 路(追い越しが出来ない)なのだが、途中で2車線になる区間があり、そ こで前をゆく車を1台抜いた。抜いたので、追越車線から走行車線に戻ろ うとミラーを見た瞬間、後ろからやってきた車にバッシングされる・・・。 こちらはこれ以上の速度で走る気はないのですぐどいたが、追い越すので スピードに乗っている状態の車にバッシングするとは、恐るべき北海道の 道路事情である(苦笑)。

 無料区間も終わり、一般道を走る。この辺は、競走馬の牧場が多いこと で有名な所であり、所々に馬が見える。
 そんな中で、観光牧場「日高ケンタッキーファーム」に立ち寄る。綺麗 に整備された 公園風になっていて気持ちが良いのだが、周りを飛び交う関西弁が気 になる・・・・。2〜3校の修学旅行が訪れていたのだ。トイレは渋滞し。 パターゴルフ場は、高校の校庭と変わらないんじゃないかと思うほどであ る。私が高校生の時は、蔵王でのスキーだったのに。(それも、私の次の 代までで、その次の年から磐梯山に変更された。そのころの県立高校は、 山形県には行ってはいけないと教育委員会が定めていたためらしい。つま り蔵王は違反)
 そこで、裏手にある牧場見学用の丘へ向かう。隣接してある牧場をここ から見学して下さいと言うことで、基本的にはその牧場への立ち入りは禁 止である。もっとも、乗馬などをしないのであれば、 遠くから眺めた方が綺麗 だろうと思う。
 牧場も眺めたし、馬の走る音も聞いたので、我々はさらに先へと進むこ とにした。これからもそうなのだが、我々はどうも長々と観光出来ないタ チらしい(笑)。

 先ほど、点在していた牧場は、この道路になると両側に連続してあるよ うになる。まるで牧場銀座状態(こう書くと賑やかなんだか静かなんだか わからなくなるが、実際にはとても静か)。馬は走りゆく車など我かんせ ずで、のびのび草などを食べている。
 やがて、山が険しくなり、だんだんと牧場の数は減り、ついにはなくな る。牧場の変わりにダム湖が見えたりする。

 道は、林の中を進む。林に変化はない。今朝、起きたのが早かった(朝 日を見た)せいもあるが、眠くなってきたので、相方に運転を代わっても らう。しばしいびきをかいて眠る・・・・

 とは言っても、寝たのは10分程度。途中で寄った道の駅で運転を代わ る。これからは、交通量の多い峠を走らなくてはいけないからだ。
「日勝峠」日高と十勝を結ぶ峠だが、札幌と十勝を結ぶ最短ルートなので、 交通量が多い。レンタカーだろうがペーパードライバーだろうが後ろから 煽られる。登坂車線のある区間で走行車線に入り、前の車を抜いてそのま ま走っていると、登坂車線側から何台にも抜かれる。ぼやぼやすると、前 を走る車は見えなくなってしまい、後ろに車が数珠つなぎになりかける。 必死になってハンドルを握った。
 途中で何カ所も工事中の区間があって、それで間隔を詰められたのは幸 いだったと思う。そうでもしないと、本当に渋滞の先頭になっていた可能 性がある(苦笑)。もっとも、工事区間がなかったら、こんなに詰まった間 隔の流れで無かった可能性もあるが。
 長いトンネルを越えると、そこは十勝であった。しばらく走ると、十勝 平野を一望できる展望台があり、立ち寄ってみる。もう、日も陰り始め、 また曇りかけているので一望と言うわけにはいかなかったが、とにかく 十勝平野が見えた。 もう、「大きい」としか言いようがない。
 そのまま順調に帯広市内へ入る。しかし、順調だったのは市内に入るま でで、ホテルにたどり着くことが出来ない。基本的には碁盤の目に道路が 通っていて、交差点には「南9西7」などの名前が付いているのだが、そ こに斜めに走る道が1本と、東西方向の道が途中で曲がり南北方向になる 道が1本あり、あたりも暗い初めての土地を、我々はホテルを探して30 分程度もぐるぐる回ってしまった。最後は、「えい、ままよ」と曲がった 信号もない交差点が正解で、やっとホテルにたどり着くことが出来た。

 今回の旅では、宿はJTBを通して予約したのだが、どうも「ハネムー ン」と言うことを書かいてあるらしく、我々が予約したよりも良い部屋を 準備してくれているのがほとんどだった(1軒だけ、団体旅行に紛れてし まったようだ)が、今夜の宿「北海道ホテル」も例外ではなく、 良い部屋に案内してもら った。
 その後我々は街に出て、「十勝ビール園」にて十勝地ビールを堪能した のだった。

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その3:帯広−−層雲峡

 今日からが、本格的な旅行である。と意気込んでいたら、天気が悪かっ た。雨こそ降っていないが、かなりどんよりとした雲が立ちこめている。 基本的に景色を見る旅なので、ちょっと都合が悪い。
 しかし、基本的に私は晴れ男である。今回の旅も、私がハンドルを握っ ている間は、濡れた路面を走りはしたが、一度も降られていない。むしろ 相方の方が雨女では無いかと思う。相方が運転した時間はそうないのだが、 しっかりと降られたようである(というのは、私は眠くて寝ていたので、 状況がわからないから)。

 今回の宿は、すべて朝食付きでお願いしてあるので、ホテルの準備した 食券を持って食堂に向かう。和食と洋食が選べるので、洋食を選ぶ。
 よく考えたら、今回の旅でバイキングでない朝食はここだけであった。 そんなに食べ過ぎずにすむ(苦笑)。
「マルセイバターサンド」などで有名な六花亭の本店が帯広市内にあるの で立ち寄る。私はあまり興味がないので車の中で待ち、相方がおみやげを 買い込んできた。

 その後、「池田ワイン城」を目指して進む。やはり、北海道の道は広く、 主要道路から1本はずれただけで、車の数もぐっと減る。とりあえず、城 を目指して進む。
 ただ、今回は私が運転手である。試飲のワインはあったのだが、飲むこ とが出来ない。相方はワインは得意な方ではないし(私の教育で、最近は 飲むようになったが)、私に遠慮してこちらも飲まない。ワイン城の売店 で、「赤ワインラーメン」なる袋麺を買い、赤ワインも1本買う。これは 今晩試飲してみることにする。

 それから、然別湖へ向かう。大雪山国立公園内唯一の自然湖だそうだ。 標高も800mほどあり、周りに2軒の温泉旅館が建っているものの、静かな場所である。
 我々が向かった道が良かったのはここまでで、これから抜けようと思っ ている糠平に向けては、然別湖畔に沿ったブラインドコーナーだらけの細 い道であった。だが、湖畔を過ぎると、 北海道の山道らしくなり、国道との合流地点では、道なりに逆方向へ 進んでしまう。私の間隔からすると、信号などが立っているもんだと思っ ていたのだが、全くなにもなく、ちょっと豪華な三叉路(右折・左折車線 に分かれている)という感じであった。

 そのまま、層雲峡に向かって進路を北にとる。現在、13時近くであっ たが、我々は昼飯を食べていなかった。然別湖畔の食堂でとっても良かっ たのだが、何となく食指が動かなかったのだ。
 しかし、もう少しゆくと、「三股山荘」なる食事・喫茶がある。そこで 食事をしようと思っていた。
 もう少し走ると、その看板は見えてきた。我々は、その前に車を止め、 中に入った。
 造りは、ログハウスである。窓際の席が空いていたので、そこに座り、 食事を注文する。接客をしているのは、ここで生活しているうちに強くなっ た。という感じの女将さんである。品のいい感じで、物腰は柔らかいのだ が、芯の強さを持っている、と言うべきであろうか。食事は、素朴で美味 しかった。
 三股は、林業で栄えた街である。しかし、日本の林業がやってゆけなく なると同時に衰退し、今ではこの三股山荘と、もう一軒民家があるだけで あった。
 ここは昔、鉄道の終着点であった。切り出した木を運び出すために作ら れた鉄道の、終着点であった。
 食事を終えた我々は、その周りを散策してみた。三股山荘の裏手に、鉄道跡のようなくぼみが見え た。ちょうどこの辺が、十勝三股駅の駅前であったに違いない。
 私の脳裏には、ある1冊の本が思い出されていた。「終着駅に行って来 ます」と題されたその本の中で、十勝三股は取り上げられていた。しかし、 その本が書かれたときに、十勝三股駅には列車は1本も来ていなかった。 代行バスが運転されていたからであり、著者の宮脇俊三氏も、この地にバ スで訪れ、周りの風景を描き、住民と話をしている。そのころ三股にはわ ずか2世帯しか住んでいないらしく、母親と幼稚園の子供が一緒にバスで 通園しているエピソードがあった。ちなみに、その運転手は幼稚園児の父 親であったという。そのころの母親がまだ三股に住んでいるとしたら、三 股山荘の女将さんくらいでもおかしくないな、と思った。朝1本のみにな ってしまっていたが、まだバスも走っていた。

 ところで、その三股山荘(十勝三股駅跡)から、奇妙な山が見える。通 称「オッパイ山」という らしい。環境庁が設置し た物見もある。我々はそこで写真を撮り、少し離れた場所で今回の愛車の写真を撮った。

 三国峠を越え、十勝から上川に入る。峠を越えると、風景がすこし寒々 としたようだった。そのまま、石狩川に沿いながら、層雲峡を通り過ぎ上 川を目指す。
 上川になにがあるのか?と問われるときついのだが、「アイスパビリオ ン」なる施設がある。日本の観測史上の最低気温はマイナス41度なのだ が、それを記録したのがこの上川である。そのマイナス41度を体験させ てくれる施設が「アイスパビリオン」である。
 中に入ると防寒着を貸してくれる。そして、マイナス10度の部屋に入 り、次にマイナス20度の部屋に入る。このころになると、肌が痛いよう な気がする。そして最後は、マイナス41度のトンネルでクライマックス。 ただし、このマイナス41度のみは、風を送っていて、体感でマイナス4 1度になるようにしてあるようであった。

 日本観測史上の最低気温も体験し、来た道をちょっと戻って層雲峡にた どり着く。ここから、大雪山黒岳に登るロープウエイがあるのだが、時間 が遅いし、天気も悪いのでやめておく。
 今夜の宿も、払っている料金よりも豪華であった。()そして料理も、 食べ応えのあるものであった。料理を食べた後、池田で買ってきたワイン を飲んだ。軽く渋い、日本人の舌にあったワインであると思った。

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その4:層雲峡−−阿寒湖

 目が覚めると、良い天気であった。部屋の窓から、大雪山(というのは山全体の総 称であって、6,7岳の総称らしい。今回見えるのは黒岳)が綺麗に見え る。これなら登ってもいいかな?と思いつつ朝食(今回もバイキング。ま た食べ過ぎる)を取り終え、部屋に戻ってもう一度窓を覗いてみると、も う曇っていた。ロープウェイの営業時間が朝7時からなのも納得する。
 仕方がないので、早々に宿を後にする。今日は、このまま網走方面に向 かい、阿寒湖まで足をのばすという今回の旅一番の走行距離であったが、 予定よりも早く宿を出たので、さらにサロマ湖まで足をのばすことにする。

 国道39号線を走り、石北峠を越える。峠はいくつも超えたので、山道にも慣れてきたようである。 そのうちに、いつもの平坦な直線道路に戻る。
 サロマ湖へ向かうため、留辺蘂から道道に入る。これがまた良い道で、 国道以上に整備されている。しかも、対向車さえこない。北海道が広いん だということを改めて実感させられる。
 サロマ湖が見えてきた。 北海道最大の湖であるサロマ湖だが、穏やかな表情を見せている。そして、 遠くには海との境目も見える。

 突然だが、お世話になった親戚にみやげ物を買う。サロマ湖畔に「北勝 水産」という水産物加工会社があり、直売所が併設されている。乾き物や ボイル品でもいいのであるが、直接産地から送るので生きた物を送ろうと 思い、かに一杯とホタテ20枚を送る。
 この二つを合わせても、5,000円程度であり、さらに、クール航空便の 運賃よりホタテ20枚の方が安いのである。まさに「産地恐るべし」であ る(笑)。
 ちなみにこの会社、電話&Faxでも注文出来るようである。

 みやげ物も買って、網走方面に車を走らせる。途中に、常呂と言う町が あり、そこの森林公園内に展 望タワー があるので行ってみることにする。
 いざ中に入ってみると、管理人のおじいさんがぽつりといて、記帳をし てくれと言う。記帳をするとそれでOKで、登っていいよということにな るが、階段しかないのである。タワーに近づくにつれ、規模的に細すぎる なとは思ったのだが、エレベーター等の装置はないのであった。もっとも、 それだからタダなんであろうが。
 とにかく、100段以上(しかも蹴上(一段の高さのこと、20cmも あったら結構きつい階段である。ただ、木造の2階建て程度の家であれば 一般的な高さであるが。あれはせいぜい15段)が結構ある)の 階段を上り、展望フロアに到達する。タワーの形状のせいもあるのだが、 ガラスが少々汚れており、また快晴でないことと、なによりこういう北海 道的景色に我々が慣れてきたせいもあり、ただ ぼんやりと眺める。

 能取湖という湖を眺め ながら、網走の街に到着する。
 網走刑務所の前を通過し(はずなんだけれどよくわからなかった(苦笑 ))、オホーツク博物館へ向かう。ここの売りも極寒体験で、昨日の上川 よりは高い温度(−20度)であった。入る前に濡れタオルを貸してくれ て、中で回してみろという。それに従って中で回してみると、みるみるう ちにタオルが凍る。面白いので、ぶんぶん回してしまった。また、ミカン と打ちかけの釘があり、「果物で釘が打てます」コーナーもあった。が、 ミカンはすでにボロボロになっており、釘を打ち付けてある木片も凍って しまっているので、釘は木片の中へは入っていかなかった。さすがにバラ の花と、某オイルは置いていなかった(って古いなオイ)
 次は、「網走監獄博物館」という、網走刑務所の博物館を見る。ここは、 昔使っていた網走刑務所関連の建物を移築したり、復元したりして見せて くれるところである。中には、リアルな蝋人形を何体も設置し、その当時 の雰囲気をつかませようとしている。 (

 「女満別地ビール」のレストランで食事をし、阿寒湖へ向かう。しかし、 結構各地に地ビールが出来たものである(昨日の上川でも地ビールを作っ ていた)。
 相変わらず北海道的な道をひた走る。眠くなってきたので、運転を代わっ て貰おうかと助手席を見ると、すでに眠っている相方の姿が見えた。くそ う、今回も先に寝られたか(苦笑)。
 それでもなんとかホテルまでたどり着く。今日の宿は、JTBの人間が 「道東でお勧めできるのはここだけ!」と言い切る宿である。
 が、団体旅行に紛れて予約をしたらしく、普通の扱いであった(今回の 旅ではここだけであった)。それでも、設備などは豪華であり、接客態度 も優秀である。温泉宿の気分を満喫させてくれた。(恒例の部屋の写真 )。

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その5:阿寒湖−−釧路

 朝食(バイキング)を済ませ、早々に出発する。阿寒湖の遊覧船に乗ろ うと思っていたからだ。
 しかし、ホテルを出発してみると、遊覧船乗り場に駐車場のないことに 気付く。いや、あることはあるのだが、全部有料駐車場で、朝が早すぎて 営業してないのだ。ホテルに頼んで、車と荷物を預かって貰うんだったと 後悔した・・・が、もう遅い。そのまま、摩周湖方面に向かう。
 途中、「ペンケトー」「バンケトー」という湖を眺める展望台に立ち寄 る。ここから見る「ペンケトー」 は、北海道の形に見えるそうだが、さていかに(笑)。
 しかし、観光バスが展望台の前の道に一時停車して、「ペンケトー」を 見ている。ここから先、何度かこういう光景に出会う。立ち寄るほどでも ない観光地ということなんだろうが、こういう道路の占領の仕方はどうか と思うし、パック旅行の嫌いなところである。あのバスの乗客には、この 白樺と熊笹のすばらしさ なんてわからないんだろうな、と。

 次に目指すのは摩周湖である。常に霧に包まれた、ミステリアスな湖と いうイメージであるが、摩周湖への取り付け道路ですでにこの状態である。本当に見 えるのかどうか不安になる。
 しかし、結果はこうで あった。となりで個人客をガイドしていたタクシーの運転手は「こんなに 綺麗に見えるのは珍しい」とは言っていたが、この手の言葉は眉唾であろ う。しかし、霧がかかる状態 と、晴れる状態が数分間隔で交互に繰り返される姿は圧巻である。
 その足で、屈斜路湖へ 向かう。こちらは、霧はかかっていない。が、屈斜路湖のすぐ隣にある硫黄山の周りは、その名の通り 硫黄のにおいが立ちこめていた。
 今朝、阿寒湖の遊覧船に乗りそびれたので、屈斜路湖では遊覧船に乗ろ うと思っていた。しかし、シーズンオフなのであろうか、遊覧船は整備の ため運行されていなかった。体育の日までシーズンが持たないとは、予想 外であった(苦笑)。

 出発したころは「馬」の牧場であったが、、現在道の両側に点在してい るのは「牛」の牧場である。牛の牧場を見ながら、釧路湿原の展望台であ る、「細岡展望台」へ向かう。
 釧路湿原は「壮大」であった ()。
 もう少し天気が良いと、もっとはっきり見えたのかも知れないけれど、 この曇天の柔らかい日差しを浴びて、ただ大地は自然の営みを続けていた、 とでも言おうか。いや、私の表現力では表現しきれない・・・。

 釧路湿原まで来ると、今日の宿泊地釧路はもうすぐそこである。2度乗 り損ねた遊覧船に乗るはずだった時間が余っているので、厚岸まで足を延 ばしてみることにした。厚岸は、牡蠣で有名なところであり、みやげに牡 蠣の殻入りチョコレートなどを買う。
 来るときは、少し内陸のルートを来たので、帰りは海岸沿いの道を走る。 私は眠くなっていたので、相方に運転を代わってもらって、私は寝てしまっ た。
 私は基本的に晴れ男である。少なくとも、今まで屋外での主要な行事に はほとんど降られたことがない。今回の旅でも、私がハンドルを握ってい る間は、路面が濡れていることはあっても、ワイパーを動かしながら運転 したことはなかった。しかし、今回相方に運転してもらった区間だけ雨が 降ったのであった。相方は雨女なのであろう(笑)

 そのまま、釧路市内のホテルに着き、荷物を置いてから4日間の相棒で あったレンタカーを返す。走行距離は1079Km。良く走ったものであ る。ホテルまでの送迎サービスがあり、何のことはない、今まで我々が乗 ってきた車で送ってもらう。初日には聞こえなかった車のきしむ音がカー ブを曲がるたびに聞こえ、ヒヤヒヤする(苦笑)。

「和商市場」という市場(というか商店街かな?)があり、バッテラとイ クラの醤油漬けを購入する。イクラの方は弾力性があり、一粒を20cm 位の高さからテーブルに落としてみたのだが、見事に跳ね返ってきた。
 その日の部屋は、この旅始まって以来の2室構成で、リビングとベットルームが分かれたもので あった。特にリビングは窓が2面ある部屋で、 夕日がとても綺麗であった。

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その6:釧路−−札幌

 しつこいようだが、やはり朝はバイキングである。
 けれど、ホテルのバイキングはうまい。別に、嫌な訳じゃないのである。 飲み物が充実しているのもよい。唐突だが、私はトマトジュースが大好き である。ホテルによって、コショウやら塩やらの配合を変えているので、 画一的な100%ジュースよりは、よっぽど楽しみがある。こいつを、心 おきなくおかわり出来るのも楽しみだ。といっても、コーヒーも飲んでお きたいし、グレープフルーツジュースも好きだ。みそ汁も大好きだし、せっ かく北海道に来たんだから牛乳も飲んでおかなくちゃという気分になる。 同じ物を2度飲んだらもったいないという貧乏性が頭を持ち上げるので、 同じ物をおかわりしたことはないが(苦笑)。

 タクシーで、釧路駅に向かう。これから、釧路空港までの連絡バスに乗 り、札幌(丘珠空港)まで行くのだ。
 我々は、ちょっと早くバス乗り場に着いたようで、列の先頭に並んだ。 だいたい20分前程度であろうか。それでも、色々なカラーリングのバス が出入りしているので、たいして飽きなかった。
 そんなバスを眺めているあいだに、空港行きのバスが来た。満員の客を 乗せたバスは空港へ向かった。

 ところで、私は飛行機に乗ったことがなかった。始めて乗る飛行機が、 釧路発丘珠行きという経路で、機体はYS−11である。日本の産んだプ ロペラ機である。
 乗り込む前に、金属探知機のお世話にならなくてはいけない。携帯も体 から離したのに、なぜが私は反応する。係員がいかめしい顔をして近づい てきて、小型の探知機で私の体をなめ回すように調べ始める。そして、ズ ボンの右のポケットで、目的の物を発見したようだ。発見された物は、充 電池である。デジカメの電池がすぐ切れるのに業を煮やした私は、予備の 電池を1セット持ち歩いていたのである。忘れていた。電池を係員に預け 、もう一度探知機をくぐる。今度は大丈夫であった。
 歩いて飛行機に向かい、タラップを登る。YS−11の中は、列車と同 じような2つイスが並んで真ん中に通路があり、またイスが2つ並ぶとい う構成であった。前から3番目の自分の席に着くと、客室乗務員が一生懸 命外に向かって手をつきだしている。何かの儀式かと思ってよく見ると、 ハエを手で追い払っているのだった。「ふっふ」と思い、ふと視線を室内 に戻すと、室内にいる客室乗務員が目に入った。彼女もその姿を見て肩を 揺らすので、振り向いた瞬間に「見ました?」と聞く。室内の彼女も、ハ エを追い払っている同僚を見たらしい。そして、「ドアを閉めた後に見つ けたときには、コップで押さえておくんですよ」と笑いながら教えてくれ た。

 そして、離陸する。釧路空港は、東京からジェット機が来るくらい大き い空港なのだが、現在我々の乗っているのはYS−11、プロペラ機であ る。駐機場から滑走路の真ん中に出た飛行機は、端までいくでもなく、真 ん中の時点で加速を始めた。ジェット機しか乗ったことのない相方が驚い ていたが、それでも無事離陸した。
 私の席はエンジンの真横であった。相方は、離陸するとすぐに寝入って しまったが、私は軽い興奮と恐怖感、そしてなによりエンジン音と振動で 寝ることは出来ず、小さい窓から外を眺めていた。
 そして、無事離陸。相方は、離陸のショックで目を覚ましたらしい。

 そのまま、札幌市内へと向かうバスに乗る。そして、荷物だけでも預かっ て貰おうと、ホテルに立ち寄る。しかし、チェックイン出来てしまい、部屋に案内される。まだ1 1時ちょい過ぎであるのに。
 一度腰を落ち着けると、なかなか外には出たくなくなるものである(年 だね)。それでも、せっかく札幌に来たんだからラーメンを食べようと、 ススキノに出かける。相方がガイドブックなどで目に付けた店は、高校生 で一杯であった。高校生の流れ作業に紛れてしまった我々の食べたラーメ ンは、どこにでもあるような普通のラーメンであった(苦笑)。

 その足で、大通公園に向かう道路のあいだの区画を丸ごと公園にしてし まったようで、昔シムシティでやったことあるような町並みであった。
 だんだん天気は悪くなってきていたが、構わず テレビ塔に登る。しかし、あまり良くは見えなかった。
 次に、時計台サッポロファクトリーと巡るが、 時計台は高校生の団体であふれ返り、サッポロファクトリーは何のことは ないショッピングモールであった。しかも、早々に後にしようと思って外 に出ると、雨が本格的に降り出しており、仕方なく乗ったタクシーは、ま っすぐ行けば良い道を途中でUターンして一本ずれた道に入り直し、渋滞 の中をゆっくりと走る有様であった。

 ホテルでちょっと仮眠を取ると夕方になっていて、雨も小康状態なので ジンギスカンを食べに出ることにした。相方は以前札幌に来たことがあり、 美味しい店を知っているというので任せたが、私にとってはタダの炭火焼 き肉のようであり、特別美味しいとは感じなかった(もしかしたら、羊の 肉を何の違和感もなく食べさせるのがうまいのかもしれないが)。なにか 物足りないので、近くのデパートの地下食料品売場で北海道らしいものを 探す。が、地元の客相手の店に、そんなに珍しいものはなく。大阪のたこ 焼きやの支店でたこ焼きなどを買って帰る。このたこ焼きは美味であった。

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その:札幌−−東京

 帰る日になると、良いお天気であった。私は、昨日のことがあるので晴 れ男であることに自信を失いかけていた。そして、なにも帰る日に晴れな くても良いだろうとは思ったが、それでも雨が降っているよりはマシなの で良しとした。もっとも、札幌に多少土地勘のある相方が主導権を握って いたので、雨だったのかも知れないが。

 最後のバイキングを楽しむ。これで、しばらくふわふわのスクランブル エッグが食えなくなるかと思うとちょっと悲しい。

 札幌駅に向かいがてら、道庁をを見る。といっても、ホテルのはす向か いが道庁であるから、ほとんど移動距離は変わらない。
 旧道庁の赤煉瓦は、快 晴の空をバックに輝いて見えるようだった。我々は、そこでお決まりの記 念撮影をし、そしてあまりにも 綺麗に抜けている空を写真に撮った。

 札幌駅まで歩く。まだ飛行機の時間まで余裕があるので、コインロッカ ーに荷物を預け、北海道大学を見学に行く。 クラーク像や、ポプラ並 木などが散りばめられた構内であり、下手な公園よりよっぽど気持ち がいい。青いビニールシートで覆われた演劇小屋などはいかにも大学っぽ かったが、やっぱり大学と言うよりは 公園 である。
 「動物のお医者さん」という漫画をご存じだろうか?獣医学生の日常? を書いた作品だが、モデルは北大の獣医学部だと言われている。どんなと ころか見てみたくて、北大の端の方にある獣医学部まで行ってみることに する。
 結論から言うと、あそこがモデルでなかったら、どこがモデルなんだろ う?と思う。動物病院も、 獣医学部の建物も、漫画 そのもの(というか、漫画がそのままかいたんだけれど)である。やはり、 ここがモデルのようであった。

 変な看板の前を通り過 ぎ、札幌駅へと戻る。そのまま新千歳空港駅まで快速に乗り、空港内の土 産物屋で買い物戦争に巻き込まれる。仮にも、1週間以上会社を空けたわ けだし、お祝いをもらった人もいるし、これからくれるだろう人もいるの で、安めの物を大目に買って行くことにする。それから、目に付いた「熊 カレー」なんて缶詰も買い込む。
 チェックインして、大急ぎで昼飯を食べようと言いながらチェックイン カウンターの前に行くと、そこは高校生で洪水がおきていた。確かに、修 学旅行は社会勉強の一環であり、今時飛行機にも乗ったことのない大人な んて希有な存在だから、自分たちでチェックイン出来るように勉強してお く、という意味はわかる。が、それならそれで、専用のカウンターでも準 備しておいて欲しいものである。その状況を見た我々は昼飯は無理と判断 し、弁当を買った。案の定、搭乗口も大混雑であった。
 それから、前回学習したので予備の電池は持ち込みのカバンの中に入れ、 ポケットからは出しておいた、なので金属探知器は1回でクリアできた。

 さすがにジェット機は加速感も違う。シートに押しつけられるような感 触を味わいながら、飛行機は離陸した。
 釧路−札幌間は55分だったが、新千歳−羽田間は約1時間。移動距離 は違うのに、飛行時間はほとんど変わらない。このジェット機も昨日のプ ロペラ機のような速度で飛んでくれれば、もう少し東京に帰り着くのが遅 くなるのにと思った。

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